Concorso d’Eleganza その2
さて、画像はプリンス・スカイライン・スポーツです。
はるばる海を渡って(空を飛んで?)イタリアまでやって来た日本の名車です。
確かに、「この場所に居る事を許される数少ない日本車」の一つです。
1966年に日産に吸収合併される以前のプリンス自動車が生産した、
ミケロッティ・デザインの美しい車、
総生産台数も58台とか60台とか言われていますが、現存台数は・・・・10台以下ですかね。
中学高校と電車通学していた時に、明大前から永福町までの間、
電車の窓から見える車屋さんにレストア待ちの車両があったのを見て、
おぉ~~珍しい・・!!と思っていました。
あと、覚えているのは、浜名湖プリンスホテルに2台ほどありましたね・・
その後には、3連ウェーバーで有名なS54B、そして日産になってからのKPGC10と、
スカイライン伝説の最初の一歩です。
その他の方々
1955年のトリノショーでGhiaから発表されたGildaです。
Gas Turbine車のデザインモデルとして、発表された反面・・
発表された当初は、1.5Lの4バルブエンジンが搭載されていたらしいのですが、
現オーナーがレストアのついでに、
本物のガスタービンを載せちゃった・・・といういわく付きの車です。
実は、前日にはエンジンを始動していたらしい・・・
ひょっとして、搭載されているエンジンが、あのChrysler Turbineだとすれば・・・
すっげぇ~~~残念。。。ぜひ、この眼で見たかった。
まぁ・・いわゆるバルケッタは好みです。
今日は雨で、せっかくのバルケッタは皆さんトノ・カバーや傘で武装してました。
自分のDONZIのコクピットの参考にしたかったのに残念です。
いつ見ても、このD型大黒猫ちゃんは、可愛い・・と思います。
ずらり・・と並んだ、
おしり
やっぱり、こういう丸っこいお尻が、好みです。
やっぱり・・・Bugattiはエレガントですねぇ~~~。
いわゆる、コンセプト・カーの集団。
STILE BERTONE のMANTIDEは、最近のデザインの中では好みのほうかな・・
アニメに出てきそう・・
Lamboの350GTは、この手のイベントでは定番かなぁ・・と思いますが、
いつも感じる事が、この車は写真映りが悪い。
実車は、なかなか素敵なラインをしているのに、なぜか写真になると、
安っぽく見えてしまうんです。
同じような現象が、ACエースとかACエースカ、なんていう車にも起きるんですが、
実車がとても素敵なだけに、ちょっと可哀相・・
帰り道・・駐車場の入り口です。
おいおい誰だよ、こんな所にゴーカート置いたの・・・・
ではなく・・KTMのX-BOWです。
車体の製作は、かの有名なダラーラです。
まぁ・・先進的・・と言えば、そうかも知れませんが・・・
やっぱし、ゴーカートにしか見えない・・( ̄o ̄;)ボソッ
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コメント
おつかれさまでしたーー。
雨も寒さも足下も・・・ 晴れてくれればよかったのですが~~
噂のタービンエンジンは、驚きました!ヒュイーーンって感じに走行し、エンジンのon offはまさに飛行機!歓声も凄かったです。
写真写りの悪い350GTはlamboの生産1号車らしい(by LambopartyのGeorgio)
なんか通常より、寄り目ですよね。。
雨も寒さも足下も・・・ 晴れてくれればよかったのですが~~
噂のタービンエンジンは、驚きました!ヒュイーーンって感じに走行し、エンジンのon offはまさに飛行機!歓声も凄かったです。
写真写りの悪い350GTはlamboの生産1号車らしい(by LambopartyのGeorgio)
なんか通常より、寄り目ですよね。。
大志
このプリンス、、、懐かしい、、、どうも50年代にプリンスの方がイタリアに視察に行った時に、いつかこの国と一緒に車を作ろう、、と思い、日本に戻って社員をイタリアに留学させ数年後には、ミケロッティと契約を結ぶまでになったとか、、、いいなぁ~その頃は皆大志を抱いて仕事していたんだろうな~。
50年代後半、イタリアにプリンスから送られて行った人に会ってみたい!ご存知の方いますか?
50年代後半、イタリアにプリンスから送られて行った人に会ってみたい!ご存知の方いますか?
Re: 大志
コメントありがとうございます!!
>いいなぁ~その頃は皆大志を抱いて仕事していたんだろうな~。
確かに、自動車関連で日本を飛び出す諸氏は皆さん、
大志を抱いてヨーロッパに渡って来るんですよね・・・
自分も若い時には確かに大志を抱いて日本を飛び出したのですが・・・
今はどうなのかなぁ・・・・・・夢だけは一人前に持っている気がします。
さて、物の本では、
当時プリンスの取締役設計部長だった中川良一氏が、
イタリアのスポーツカーの美しさに感銘を受け、
59年に当時デザイン課長だった井上猛氏をイタリアに派遣、
約2年にわたって氏をイタリアで学ばせていた。
とありますね・・・皆さん実名で出ています。
でも、残念ながら僕はお二方とも直接面識はありません。
ここは、やはり・・・大御所で専門家のRinさんへ宿題・・・・・
・・・・・・・だめ?
>いいなぁ~その頃は皆大志を抱いて仕事していたんだろうな~。
確かに、自動車関連で日本を飛び出す諸氏は皆さん、
大志を抱いてヨーロッパに渡って来るんですよね・・・
自分も若い時には確かに大志を抱いて日本を飛び出したのですが・・・
今はどうなのかなぁ・・・・・・夢だけは一人前に持っている気がします。
さて、物の本では、
当時プリンスの取締役設計部長だった中川良一氏が、
イタリアのスポーツカーの美しさに感銘を受け、
59年に当時デザイン課長だった井上猛氏をイタリアに派遣、
約2年にわたって氏をイタリアで学ばせていた。
とありますね・・・皆さん実名で出ています。
でも、残念ながら僕はお二方とも直接面識はありません。
ここは、やはり・・・大御所で専門家のRinさんへ宿題・・・・・
・・・・・・・だめ?