機械バカ一代

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モーターサイクルのスタイリング考察(50年代、英国編)

AJS 7R
1950年代の英国車編です・・・

英国車にとって50年代は絶頂期を迎えると同時に衰退の始まった時期でもあります。

しかし・・このAJS 7R boys racer 美しいですよね~~

350ccクラスに参戦するための純粋なレーサーですが、
この美しいフォルムは現在でも多くのファンを魅了し、多くのレプリカを生みました。

↓この時期の英国車で、モーターサイクルのスタイリングにデフェクト・スタンダードが誕生します。

やまあらし
同じくAJSのポーキュパイン・・

500ccクラス向けのレーサーも、こんなに美しくなりました。
特徴あるタンクのデザインは、当時のダストビン・フェアリング(前輪までフルカバーされた形状)
の中でライダーの膝廻りの整流効果まで考えた結果です。

本文の7R と同様に、黒地に金色のラインというカラーリングは、
JPS(煙草)と同じで、その後JPSロータスなど・・英国車を語る上での見本のようになって行きます。

Manx
あまりにも有名な、このNorton Manxは、今更、説明の必要もなさそうですが・・

これも有名なフェザーベッド(羽根ぶとん)と呼ばれた、しなやかなダブルクレードル・フレームと、
スイングアームに油圧往復ダンパー+コイルスプリング、そしてオレオ・タイプのフロントフォーク
という構成は、現在まで続くモーターサイクルの基本形を構築し、

その後、デファクト・スタンダード(業界標準)となって行きます。

そして、そのフレームの優秀性から、
TORITON(トライトン):Manxのフレームにトライアンフのエンジン。
NorGold(ノーゴールド):ManxのフレームにBSAゴールドスターのエンジン。

といった、派生モデルすら生み出す事になります。

ちょうど、1950年代初頭はNoton, AJS, Velocetto の英国車と、ジレラ、Motoguzziという、
イタリア・メーカーがGPを舞台に凌ぎを削った時期でもあります。

350のMAC
戦前からの老舗、Velocettoも350ccのMACをリニューアルします。

500のVenom
1955年には、レプリカの元祖Vincentに続いて・・500ccレーサーレプリカ、Venomを発表します。

英国内の大手メーカー、Norton、Trimph、BSA、などと異なり、

家内制手工業に近かったVelocettoは、
その丁寧で信念ある物造りで多くのファンを獲得します。

英国車の発展にストップを掛けたのは・・・1952年末、ノートンで350cc, 500ccの3タイトルを獲得した、
Geoff Duke のジレラへの移籍から始まります。

このデュークの行動にイギリス国民は「裏切り者・・売国奴」と罵り始めた時、
Geoff Dukeは、ジレラの4気筒の脅威に晒される中、
Nortonに多気筒マシンの開発を求めたが、財政難によって実現しなかった事を公表します。

当然のように、Nortonの売り上げは急速に落ち込み・・
1953年、Associated Motor Cycles (AMC)=AJS,Sunbeamの親会社に売却されます。

それを横目に地道な家内制手工業を続けていたVelocettoは、
多くの英国車が販売数を落として行く中、販売を伸ばし・・1971年まで生産を続けます。

・・・一方その頃・・・・
1956年、
モーターサイクル・スタイリングにおける金字塔。

DBD34 Gold star

BSA DBD34 Goldstar が、誕生します。

さて・・多くの人は・・・

・・・(「・・)ン?・・なんでDBD34が・・金字塔なの?
と、思ったでしょぉ~~~~~?

これは・スタイルだけで販売台数を伸ばした始めての例。だからです。

さらに驚かれる人々・・Σ('◇'*)エェッ!?・・スタイルだけ???

そうです!!

それまで、モーターサイクルの販売には実用車として丈夫で壊れない・・とか、
速度記録やレースの成績で高性能をアピールするとか・・・そんな手法が用いられていました。

しかし・・このBSAという会社は、軍用バイクを作っていたり、電化製品を作っていたりと・・
いわゆる重工業系です。

1949年から2009年までのグランプリを網羅した記録(通称:マルボロ・ブック)の中に、
BSAの文字を見つけられるのは、たった1行・・・それもサイドカーで一回勝っただけ。

Σ('◇'*)エェッ!?・・ちょっと待て!!・・だって物の本には・・
レースに適したクロスレシオの4速ミッションで・・とか書いてある。。
そのスタイルだって、いかにもレーサー・・・それに、マン島TTを独占とも書いてある。

BSA 350 goldstar

確かに・・・

1955年の Isle of Man Clubmans Senior では1位。Clubmans Junior では1~3位を独占。
1956年に至っては、Clubmans Seniorと Clubmans Junior のすべてを独占しています。

しかし・・これはクラブマン・レースの成績です。それにマン島一回だけ。

つまり・・はっきり言えば・・

国内の市販車クラブ地方選手権を一回独占しただけ。

常々・・このBSAという会社と、日本のカワサキは似ている・・と思っていましたが。
1972年の鈴鹿で清原明彦氏が、どノーマルのH2で750ccクラスに優勝しちゃった・・
のに比べても、BSAが出たのはクラブマン・クラスですから分が悪い・・

確かに、そのスタイリングは美しくレーシーです。
しかしBSAはレースにワークス参戦していないのだから・・レーサーレプリカではない。
強いて言えば、自分でレースに出ようと思えば出られるよ・・という。

只のカッコイイ、オートバイ

しかし・・これが当時の世界中の若者の心を鷲掴みにします。

そして、このモデル以降・・カフェレーサー(カフェに乗り付けられるレーサー・・の意)
という一つのジャンルが生まれる事になります。

皆さんも良くご存知のとおり、このスタイルは今でも根強くファンの心を掴み、
弊社SRシリーズを影で支える役目まで担っています。

いかにも・・これこそがモーターサイクル。という一つの標準が出来上がります。

トラボンネ

そして、1959年、Triumph BONNEVILLE T120が生まれます。

1956年,トライアンフは「ボンネビル・ナショナル・スピードウィーク」に遠征。
650ccのサンダーバードエンジンをベースにしたストリームライナーにジョニー・アレンをライダーとして、
最高速度344 km/hを記録します。
この偉業を称える意味で,1959年にデビューした新型2気筒スポーツモデル"T120"には「ボンネビル」
の名が与えられる事になりました。

この時期、このバーチカル・ツインは、すでに一般的なエンジン形式でしたが、
このトライアンフの優秀性が数多くのコピーを生み出します。

日本でも、メグロK1~カワサキW3まで・・ホスクや弊社XS-1といった、
バーチカル・ツイン高性能モデルの基礎になります。

この時期の英国車全般の特徴として、エンジンを美しく見せる(魅せる)
という点が挙げられます。

磨き込まれたカバー類、AJSに至ってはマグネシウム合金製カムチェーン・カバーを金色に塗装します。
そして、細かく刻まれた空冷のフィンと、クロームのエキゾースト。

重厚かつ丁寧な仕上げは、今でも多くのファンを引き付けます。

ここで、モーターサイクルのスタイリング上、重要なポイント。

細部まで見た目は美しくないといけない!!

だって・・・英国車のエンジンをばらして見た人は解ると思うけど・・・
外見はピカピカで、とても綺麗・・

でも、中身は・・鋳型丸出しで、おまけに・・「何・・これヤスリで面出したの?」と言いたくなるくらい。
一回エンジンをオーバーホールする度にオイルストーンで面を出し直して・・
液体パッキンをドボドボにつけないとオイル漏れしまくるし・・

クラッチのスプリングを止めてるボルトなんて・・中途半端に締めてワイヤーロックしないと
クラッチ切れなくなっちゃうんだぜぇ~~~・・

AMALのキャブなんで、すぐにティクラーが悪くなってガス漏れっぱなしだし・・
振動がひどいから、エンジン掛けようと思ったらキックペダルが落っこちてた・・なんて話はザラ。

でも・・・見た目は大事よ・・大事・・・( ̄o ̄;)ボソッ

---お次はイタリアにしましょうか----
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