機械バカ一代

機械モノおたくのたわごと。

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モーターサイクルのスタイリング考察(50年代イタリア:その1)

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さて・・50年代のイタリアは、まさに創造と混沌の時代・・

とても・・この時期のイタリア車を一回で纏めるのは無理。

という事で、今回は50年代イタリア編の第一回。
名付けて・・イタリア・スクーター大戦争編。

画像は、1953年のVespa 125 Uですが、(あくまで個人的意見として
このモデルでスクーターという乗り物のスタイリングは完成しちゃいます。

この後、発売される、すべてのスクーターは、
スタイリングという見地から言えば、過去のモデルの模倣でしか無くなります。

↓50年代イタリアではスクーターが凌ぎを削る闘いを繰り広げます。
1949 Iso Scooter
Vespa (Piaggio)とLambrettaが、スクーターを発売したのと、ほぼ同じ時期、1949年に、
後にIsettaで有名になるIso社も、スクーターを発売します。

戦勝国しつこい)であるイタリアでは、もともとレース好きな国民性も相まって、
戦後すぐに国内選手権が開催されます。

そのカテゴリー分けは、実に独特で主に国内二輪メーカーの参入による技術向上を目的としていました。
この、国内選手権に、各スクーター・メーカーは飛びつきます。

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上記、Isoも、すぐにスポーツ・モデルを発表します。

各メーカー共に、国内選手権に、ワークス・マシンを送り込みます。
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Vespaは、国内選手権用に98をレース用に改造、各地で表彰台を独占する活躍を見せます。

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さらに・・アルミ・モノコック・ボディのワークスマシン・TELAIO IN LEGAをスクータークラスに投入


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Lambrettaも、レーサーを開発して、Vespaの独走にストップをかけるべく猛追を始めます。

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新興メーカー、ISOもレーサーの開発を進めます。

1950年から再開されたMilano-Taranto
(北イタリアのミラノから"土踏まず"の辺りにあるタラントまでの公道ラリーレイド)

に、唯一独占体制で出場する事になったLambrettaは、A-Corseを投入して万全の体制で臨み、
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1950年は、このA-Corsaで、Motoscooterクラスを独占します。

1951年のMilano-Tarantoには、
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Isoまでが、ワークス・マシンを投入して・・VespaがMi-Taを静観する中、
Lambretta VS Iso の構図が出来上がります。

さて・・・ちょっと、このISOに注目して下さい。

スクーターだけど・・スイングアームとチェーン、エンジンはフレームに固定。
どっかで見た事のあるレイアウトですね~~。

某、T-MAXと一緒。
もっとも・・この頃は、もちろんミッション付きですから、
ステップスルーなだけで(レーサーになるとタンクが付いちゃうけど)
基本形はオートバイと一緒ですが、

本文の方で、この後発売されるすべての~云々~・・の所で、
「T-Maxは独創的な設計で~~」と思った、そこのあなた!!

σ( ̄◇ ̄;)わたしの言っている意味が解りましたか?

スクーターの基本レイアウトは1950年代に終わっちゃってるんですぅ・・

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1951年、Milano-TarantoのISOワークスチーム。

先行の2メーカー、Piaggio(Vespa)とInocenti(Lambretta)は、
さらに自社製品の高性能をアピールするため、ほぼ時を同じくして、
世界速度記録に挑戦を始めます・・・

まず・・

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Vespaは、ストリームラインのレコードブレーカー、Montlheryを開発して・・

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125cc自然吸気のスクーターとしては初の・・
136.926km/h を記録します。

その、すぐ翌年・・

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さらに高度なストリームライン・フェアリングに身を包んだ、Siluroを走らせます・・

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こんなヘルメットまで被って頑張っちゃった結果、

とうとう、171.4km/hを記録して・・Lambrettaを一気に引き離した・・かに見えました。

その頃・・・

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Lambrettaは、さらに丸っこい(かわいい・・・・)

Velocita Uovo(速いたまご・・)を開発・・

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アウトバーンで速度記録に挑戦します・・

何回かのトライの後、175cc単気筒の2サイクルエンジンは、掃気ポートが追加(!!)され、
コンプレッサーで1.5Barも過給する・・という荒業まで繰り出した結果・・

201.4km/hという、スクーターにはあるまじき高速に達します。

この、1950年代初頭、この2社 Vespa と Lambrettaは、とにかく、
そこらじゅうで覇権を争っています。

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51年に、Vespaは ISDT(International Six Days Trial)にマシンを送り込みます・・

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負けずと、Lambrettaも、この6日間の過酷なエンデューロにマシンを送ります。。

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こんなに、やる気満々な姿でスタートしたって・・

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過酷な泥道では・・小径ホイールはやっぱり・・キツい。。

この頃の両社、ワークスライダーの苦労を思うと、目頭が熱くなるのを抑えられませんが・・

このISDTへのトライは、その後のスクーター全般の足回りの信頼性向上に役立ち、
スクーターの宿命とも言える、スイング・エンジン機構、冷却性の問題など、
数多くの問題を一気に解決へと導いた結果、

絶対とも言える信頼性を築き上げます。
そして、Vespa、Lambrettaの両社製品ともに、
「世界一周ツーリング」のご用達マシンとして名声を馳せることになります。

さらには・・

その信頼性と軽量で、誰にでも扱える特性は、Cushman以来の本来の用途へと回帰します。

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1956年、このVespa 150 T.A.Pは、フランス軍空挺部隊に正式採用され、
翌年からイタリア軍にも採用されます。

高空からのパラシュート投下にも耐える頑丈な造りは高く評価され・・
75mm 無反動砲を装備、左右6発の砲弾も携行したVespaは、
それまで、個人携帯火器しか持てなかった空挺部隊にとっては、
まるで戦車が手に入ったように感じた事でしょう・・
(一部書籍などでは、バズーカ砲を装備・・とありますが、無反動砲とバズーカは異なります。
これは、無反動砲・・穴がいっぱい開いた薬莢の中に紙で包まれた炸薬が入ってる奴)

このモデルの出現によって・・とうとうVespaは、
本家本元、又は元祖といえるCushmanを超えて、

スクーター = Vespa

と言われるまでの存在感を手に入れます。

そして、この、Vespa=Piaggio社、Lambretta=INOCENTI社の2社は、
世界のコミューターを代表するまでに発展して行きます。


---50年代イタリア(その2:GPでの闘い編)へ続きます----

あ・・卵から足が出るようにすれば売れるかもね~~かわいいもん・・( ̄o ̄;)ボソッ
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