機械バカ一代

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モーターサイクルのスタイリング考察(50年代イタリア:その2)

MV500 Turismo
スタイリング考察、イタリア50年代編の2回目は、

GPを舞台にしたイタリア・メーカーの激闘ですが・・
50年代はレーサーと市販車のスタイルが大きくかけ離れていった時期でもあります。

↓事の発端は、二人のエンジニアの移籍から始まります
1909年 Guiseppe Gileraによって設立されたGileraは、戦前の1935年、C.N.A (カプロニ航空機)から、
Rondine,4気筒レーサーの製造権を買い取ります。
Rondineは、Gileraによって各種のリファインが行われた後、1939年、170MPH=272km/hの最高速に達し、
名実共に世界最速のモーターサイクルとなります。

そして、戦後間もない1946年、このRondineを基に、スーパーチャージャーを廃止し空冷とした、
新しい4気筒ロードレーサーの開発に着手します。

1950 Gilera 500
この4気筒レーサーは1950年シーズンからGPに投入され、Nortonと死闘を繰り広げる事になります。

しかし・・開発が大詰めを迎えていた1949年末・・
Rondineレーサーの発案者の一人であり、チーフデザイナーの職にあった、
Piero Remorは、同じくGileraでチーフエンジニアの職にあった
Arturo Magniを引き連れて、MV AGUSTAに移籍します。

一説によると、Gileraで4気筒マシンの一般市販を主張したRemorに対して、
社長であるGuiseppe Gileraは、一向に耳を貸さず、
Remorは4気筒市販車の夢を捨て切れなかったためと言われています。

1950年、Remorの移籍を待ったかのようにMVから本文画像の500 Turismoが発表されます。
結局、このMV500 Turismoはプロトタイプのみで一般に市販される事はなく、
一部では、RemorとMagniの移籍を念頭に置いた、
Remor引き抜き用フェイクマシンとも言われています。

何はともあれ・・当時最高の二人を手に入れたMVは、すぐに500cc4気筒レーサーを作ります。
MV1951
50年、51年の2年間、潤滑や冷却の問題に悩まされながらも、イギリス人ライダー、
レスリー・グラハムの手を借りて熟成を重ね・・

MV
この、1952年型でランキング2位につけ、Gileraを脅かします。

単気筒で孤軍奮闘していたNortonからGeof DukeがGileraへ移籍し、
2気筒のAJSも旧式化が目立ってきた1953年から、GP500ccクラスは

Italian Multi cylinder warsという様相を呈します。

1953年、老舗のMotoGuzziですら・・
Guzzi 4 1953
直列4気筒・シャフトドライブ・機械式燃料噴射というハイテク・マシンを持ち込みます。

1950年、モーターサイクル・メーカーとしては初めて、
1:1モデルのテストが可能な風洞実験装置を社内に設置したMotoGuzziは、
精力的に空力モデルをトライします。

Guzzi 4 1953 Delphino
ドイツ車のような、このカウル形状も前輪にかかるドラッグ(回転誘導抵抗)を整流して、
冷却に役立てる・・というトライの一つです。

とは言え・・・このあまりにも先進的なGuzzi4気筒レーサーは、性能、信頼性、共に不十分で、

GambaLunga 500
53年、54年の両シーズンは、単気筒のGambalungaを再度投入しています。

Nortonでのチャンピオン、Geof Dukeは、Gilera 4気筒にダブルクレードル・フレーム、
オレオ(テレスコピック)サスペンション、スイングアーム+油圧ダンパーという、
Norton Manx並みの車体を要求し、独走とも言える強さを見せます。

Geof Duke Isle of Man

そして、Gilera 4気筒とGeof Dukeは、1953, 1954, 1955と3年連続チャンピオンに輝きます。

4気筒のライバルMV AGUSTAも、黙って見ていた訳ではありません。

MV 1956 500
56年型4気筒で、車体の構成を大きく進歩させ・・

Jhon
GPから撤退したNSUから、新進気鋭のジョン・サーティースを引き抜くと・・

500cc初のチャンピオンを決めます。

一方、その頃・・350ccクラスでは常勝を誇っていたMotoGuzziも500ccクラスでは低迷が続き・・
その切り札として・・

V8
V型8気筒というモンスターを登場させます・・

V8
4サイクルDOHC・水冷V型8気筒というレイアウトは、モーターサイクルには、
あまりにも複雑なエンジンでした。

V8
時折、直線では異様な速さを見せるものの、耐久性の問題に終始振り回されます。

そして、迎えた1957年シーズンは、その途中で、
市販スポーツ車の販売低迷を理由にGilera, MotoGuzzi,Mondial(後述)の3メーカーが
この年を最後にGPからの撤退を発表します。

Guzzi 4
500ccクラスでは、Gileraが「有終の美」を飾ります。

そのGileraと、まるで世代交代を急ぐかのように・・

MV 6
57年、MV AGUSTAは他のイタリア・メーカーとの密約(申し合わせ)を無視して、
新型の6気筒、500ccモデルを発表します。

MV6
しかし・・大きく重く、冷却困難な6気筒エンジンは根本的な耐久性の問題を解決できないまま、
1958年の中盤には、よりコンベンショナルな4気筒モデルに戻り、チャンピオンを決めます。

この1958年から、1975年にヤマハがアゴスチーニでチャンピオンを取るまでの、
実に17年の間MV AGUSTAは500ccチャンピオンの座に座り続ける事になります。

しかし・・・

元々Remorが夢見た、高性能並列4気筒市販モーターサイクルは、見送られ続けます。
並列空冷4気筒DOHCという、その高度なメカニズムは、
レースという限られた使用条件の中でも、その高性能と引き換えに耐久性の問題は一向に解決せず、
その市販車への展開には、ドライブチェーンを始めとする、
周辺技術の向上を待たなくてはなりませんでした。

その様にして、市販車とレーサーのスタイリングが大きく異なって行く現象は、
小排気量のクラスでも顕著に現れていました。


Guzzi 350 SOHC
350ccクラスで最後まで単気筒で市販車に近いレイアウトを保ったMotoGuzziですら、

Guzzi DOHC
DOHC+ドルフィンカウル、大径シングルパイプ・フレームという市販車とはかけ離れた構造になり、

Benelli 250
250ccクラスのBenelliは、1951年という早い時点からDOHCのレーサーを投入・・

FB Mondial 250 GP
小排気量の勇、モンディアルもDOHCギヤドライブを投入します。

GPの中では、最も小さい排気量である125ccクラスでも・・

Mondial 1951
FB Mondialは、1951年から高性能125ワークスマシンを投入します。

Mondial
市販車ベースのOHCモデルもGPを走りますが・・・

それは、あくまで耐久性不足の場合の「すべり止め」というレベルで、

Mondial DOHC
125ccクラスでは、NSU、Moliniと死闘を繰り広げます。

同じく・・
Molini
モト・モリーニでも、125ccGPレーサーを開発・・

Molini 1952
この52年型で、NSU,モンディアルと対決します。

MV 125 1950
MV AGUSTAに至っては・・市販車とは似ても似つかない、125 Bialberoを投入して・・

MV 125 bialbero
全クラスの制覇を狙って行きます。

そんな中、ボローニャの新興メーカーDUCATIは、
他とは、ちょっと異なるトライを始めます。

Ducati Desmo

1954年にMondialから移籍したFabio Taglioniは、 エンジン設計主任に就任すると、
ベベルギヤを使用したバルブトレインを開発します。

続く1955年,GranSport 100に、デスモドロミック機構を組み込み・・
1956年、このGP 125に同機構を採用します。

Desmo
それまで、メルセデスのF1に採用された例はあっても、あまり一般的でなかったデスモドロミック機構を、
あえて125ccのGPレーサーに採用し、GPの現場を耐久性の確認実験場と捉えて行きます。

すなわち・・・

1950年代のイタリアGPレース界は、
その革新的な技術が爆発的な進歩を遂げたのと同時に、
GPで養われた技術が、全く市販車に展開される事が無い・・(本当に展開されたのはデスモくらい)
という、GPの特殊性を推し進める役割を担う事になりました。

この事実の裏には、レース好きな国民性を持つイタリアならではの特別な理由がある訳ですが、

その話は次回ね・・

---次回、Milano-Tarantoと、各社の動向へ続く---

あ・・やたら写真が多いですけど・・

この時期のイタリア製GPマシンって、メカメカしくて美しいでしょ・・( ̄o ̄;)ボソッ
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この記事のコメント

私もバイクの形の変化を5回位書いて、このブログにたどり着き、書くのを止めます。面白く読ましていただきます。
2016-07-06 Wed 11:07 | URL | 菅野良治 [ 編集]

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