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国産レジャーバイクの系譜(その2)

130926_TOP.jpg

・・・ラビットスクーターの話・・・

戦後まもなく国産スクーターは、
ラビットとシルバーピジョンという2つのブランドから始まったという話をしましたが、
今回は、その隆盛から終焉までのお話です。

戦争によって、交通網が破壊された日本にとって、
二輪車が唯一のコミューターとしての役割を担っていました。
その中でも、「老若男女問わず手軽に乗れる乗り物」として、
スクーターは社会に受け入れられていきます。


1946年にS-1型として生産を開始したラビットは、
前後リジットから、フロントにコイルスプリングのサスペンションを持つなど、
1948年のS-25型まで毎年改良を進めます。

<S-1型のリジット・フロント>

130926-S1.jpg


ちなみに、現存するS-1型は、この富士重工所有の1台だけです・・

<S-25型のフロント・サス>

130926-S25_F.jpg

130926-S25.jpg


その後1949年まで、さらなる改良が進みます。ここまでの機種を第一世代とすると

キックスターターを装備してエンジン付きキックボードのような形態から、
名実ともにモーターサイクルらしくなっていく
1950年以降のモデルを第二世代と言う事ができるかと思います。

1949年から、1950年までの間、2つの特殊なモデルが少数発売されます

1つ目は、S-31型、S-32型という米軍のPX(基地内の売店)向けに
本国クシュマンに対抗して生産されたモデルで、
サイドバルブ、直列2気筒、270ccのエンジンを搭載した大型モデルでした。

<S-31型の詳細>
130926_S31.jpg

もう一つは、ES型と呼ばれる電気スクーターです。

<ES型>
130926-es.jpg

生産台数は、
S-31,32型が合わせて40台、
ES型は、23台

この計3機種は、「幻のラビット」と呼ばれ、
マニアでも実車を目にした人は少ないのではないでしょうか?

ES型は、国内に残っている可能性がありますが・・
S-31,32型は、もともと生産台数が少ない上に米軍に納入された車両です。
個人的には、横須賀、沖縄、朝鮮半島あたりを丁寧に探せば、
ひょっとしたら・・・なんて思っています。

さて・・・1950年に入ると、S-41型という、第二世代のラビット達が発売されます。
この第二世代で、民生用車種にもキック・スターターが採用され、
タイヤは、4.00-8というサイズに変更、走破性が向上します。

<S-41>
130926-S41.jpg

さらに、フレームの補強、
慣性クラッチ付遊星歯車式二速変速装置の採用などの改良を重ねながら、
1954年のS-55型まで発展します。

<S-55>

130926-S55.jpg


1954年12月、さらなる進化を遂げた第三世代ラビット、S-61型が発売されます。

<S-61>

130926-S61.jpg


このS-61型でトルクコンバーターが採用され、
ステップガードも装着されます。
スタイルも一新されて、欧州モデルのような流麗なラインを見せるようになります。

第三世代ラビットは、その後もS-101D型まで4サイクル・サイドバルブの
246ccエンジンを継続し、軽量クラスであるジュニアーに対して、
大型スクーター・モデルとして進化を続けます。

<S101D>
130925-s101.jpg


さらに、1959年から第三世代の後続モデルとして、
2サイクル、199ccエンジンを搭載したS-601へと進化し、
1968年5月に生産を終了する、S-601C型まで、
「スーパーフロー」の愛称でラビットのフラッグシップとして君臨します。

<S-601C>

130926-S601C.jpg

1955年、重く高価な4サイクル・サイドバルブ・エンジンを・2サイクルエンジンへと置き換えた、
第四世代ラビットS-71型が発売されます。

<S-71>

130926-S71.jpg

安価で軽快な特性をもった、この「ジュニアー」シリーズは、
スクーターをより身近な乗り物にして、さらに多くの顧客を獲得していきます。
そして、ラビット・スクーターの最終モデルであるS-211Aのラインオフ、
1968年6月まで生産され続ける、息の長いシリーズとなりました。



130926-90-S-211A.jpg


【派生モデル達】

国産スクーターのまさしく王道を進んだラビットですが、
やはり、いくつかの「世代に分類できない、派生モデル」が存在します。

<S-201>

130926-Miner.jpg

1958年に発売されたラビット・マイナーは、見ての通りスクーターとモペットの中間、
2.50-15というタイヤサイズと90cc 2サイクルエンジンで軽快さを追求したモデルです。
そのタイヤサイズからくる安心感で、学生、女性から多くの支持を集めるモデルとなりました。

<S-102>
130926-50-S102.jpeg

そして、ラビット・スカーレット 1960年に発売された原付スクーターです。
50cc級の純スクータータイプとして、ロータリーバルブ、
自動遠心クラッチ、セルスターターを装備、小径タイヤで
カバーに硬質ポリエチレンを採用、
懸架緩衝にS201方式を採用した軽量安価車として、
まさしく「時代を先取り」した設計でした。

こうして見ると、これが80年代のスクーターと言われても、納得してしまいそうです。。

さてさて・・・

ざっと、駆け足で国産スクーターの祖であり、
また一時は「ラビット=スクーターの代名詞」と言われるほど、
大衆からの支持を集めたラビットの歴史をおさらいしてみましたが・・・

富士重工は、なぜラビットを生産中止してしまったのか?

実は、これは近代日本二輪車史における最大の謎・・と言われています。

確かに、ビジネス・バイクという分野ではホンダ・スーパーカブに押されていた事は事実です。
しかし、国内におけるスクーターの需要は、まだまだ未知数でした。

現に、生産中止から40年以上たった今でさえ、
各パーツの入手が困難な事を承知の上で、
中古のラビットを探している人の多さには、驚きます。。。

戦後の富士重工(スバル)は、旧中島飛行機からの優秀な技術者を豊富に持ち、
数々の先端技術を駆使して、ラビット・スクーターに限らず独創的な、
四輪車(スバル360)、航空機(エアロスバル・FA-200)などを生産しましたが、
残念な事に、どれも・・技術的には非常に優れているにもかかわらず、
「尻切れトンボ」で終わってしまっています・・・・

WEBをググっていて、こんなコメントを見つけたので(勝手に)転載します。

--http://www.ne.jp/asahi/rabbit/shokunin/tyusi1.htmより転載----

話を昭和39年頃に戻そう。
当時の富士重工の商品イメージというと「スクーターのラビット、てんとう虫スバル360」という所だったのではないか。
実際の売上報告(うろ覚えの株主向け報告書)を見た記憶では、
ラビットが15%、ロビンなどの産業機械、鉄道車両、航空事業、バスボディーが各々5%残りがスバルであったと記憶している。
繰り返し問う。なぜラビット部門を除く全ての部門が現在まで存続しているにもかかわらず、
当時十数パーセントの比重を占めていて会社のイメージであったとも言えるラビット部門だけを「切り捨てた」のか。

昭和40年「スバル1000」が発売された。と同時に富士重工は「何が何でも小型車を売り」たかった。
それには「スクーター屋」「軽自動車屋」が創った「スバル1000」ではどうにもマズかった。
富士重工のイメージは「小型車の富士重工」であるべきであり、
「ラビットの富士重工」という企業イメージはどうにも邪魔なイメージであり、
これを払拭しない限り「小型車メーカーへの転身」はありえなかった(つまりは自分の株も上がらない)

こんな理由で世の中から葬られてしまったラビットスクーター。あまりにも可愛そうではないか。

--------

( ̄ヘ ̄;)ウーン・・・あまり他人事とも思えない。

どこかの二輪メーカーさんの上の方に居る人達も、良く考えて欲しいもんだ
・・・・・( ̄o ̄;)ボソッ



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この記事のコメント

 電通マンは何で、国産とか機械が大嫌いなんでしょうね。
2015-07-24 Fri 17:02 | URL | 十神山バイク愛好家 [ 編集]

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