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国産レジャーバイクの系譜(その9)2013-10-01 Tue 18:48 ![]() ・・・他社のモンキーバイク(ミニバイク)について・・・ ホンダのモンキーが産声をあげたのが、1961年・・という事は、 前回、お伝えしましたが、 それから、6年もの間・・・日本でZ50Mが発売されるまで、 他のメーカーは、このカテゴリー自体に見向きもしませんでした。 日本でZ50Aが発売され・・北米ではCZ100が好評を博するようになって、 他社は、「ぼちぼち」と追従を始めます。 まず、最初に行動を起こしたのは、カワサキでした。 1969年、この「COYOTE」で、ミニバイク市場に参入します。 ・・・が、ご覧の通り。。。 あまりにも単純かつ、いい加減・・・全く売れず、ゴルフ場の連絡業務に使われる程度でした。 ---------- そのため、今となってはカワサキ・コレクターが血眼になって探す存在になっています。 数年前の話・・・ イタリアでは有名なカワサキ・コレクターの方から相談されました。 「なぁ、COYOTEって、日本だったらあるかなぁ?」 σ( ̄◇ ̄;) ワ、ワタシ・・に聞いてる? 「ある訳ねーだろ!あれはUSカワサキの独自の大失敗プロジェクト。」 「俺だって、現物があったら拝んでみたいよ。。」 「まぁ、本気で探すんだったらカリフォルニアのゴルフ場の倉庫あたりを地道にシラミ潰しに探して見ればぁ?」 「どっかに新車が眠ってるかもね・・・」 と答えて置いたんですが・・・(適当に。。。) それから、一年位たって・・・突然。 「あった、あった!!お前が言ったとおり、カリフォルニアのゴルフ場の倉庫に埃を被った新車があったよ、 写真送るね~~!!☆(ゝω・)vキャピ」 というメール・・・添付されていたのは、 「紛れも無いCOYOTEの新車、シートのビニールすら剥がされていない車両の画像」 ( ̄ヘ ̄)ウーン・・ある所には、あるもんだな・・・と。 ---------- まぁ・・そんな訳で、COYOTEはお蔵入りになった訳ですが、 本国、日本国内でもZ50Aがブレイクしつつあって・・北米市場では無視できない存在になりつつある。 1970年、各社はミニバイク市場に参入を決意します。 まず、最初に発売を始めたのは・・ BRIDGESTON・・・ ※このブログを見慣れている方には、かつてタイヤメーカーのブリジストンが、 バイクメーカーであった事を知らない人は居ないと思いますが・・・念のため。 <Rockford Bridgeston CHIBI> ![]() 60ccの2サイクル・ロータリーディスクバルブ、5.8HP@8500rpmは、 文句なしのビッグパワーです。 <CHIBIの広告:その1> ![]() さらに、前後にサスペンションを採用した、その造りはなかなかです。 <CHIBIの広告:その2> ![]() 実際の販売は、Bridgestonの北米代理店であった、 Rockford Motorsが自社ブランドで行い、 Bridgestonがモーターサイクルから撤退を決めた1971年以降は、 タス・モーター(田中工業)で、生産され1973年頃まで輸出されます。 USのサイトを色々と見回してみると・・意外と人気はあったようで、 現在でも、結構な数が現存しています。 只・・・・本家、Bridgestoneが手を引いてしまったものは仕方ありません。。 Bridgestonは、1968年で国内販売から撤退しますが、その後も細々と、 1971年まで主に北米市場向けにモーターサイクルを生産していました。 その後、1973年まで、タス・モーター(田中工業)が生産業務を引き継ぎますが、 モーターサイクル製造からは撤退、その後、芝刈り機や汎用内燃機を製造しながら、 2006年に倒産、現在は日立工機100%出資の子会社となり、 日工タナカエンジニアリングとなっています。 個人的には、Bridgestonのモーターサイクルは大好きなんです。 あぁ~~・・もったいない。 さて・・次に、ミニバイク市場に参入したのは、スズキです。 <スズキ・ホッパー> ![]() スズキ独自のバックボーンフレームに、 フリー50のエンジンをデチューンして搭載した小型レジャーバイクです。 3.0HP@6000rpmで、ライバルのモンキーに対しても決して見劣りはしません。 ハンドルも折り畳めるし・・今見ても、なかなか可愛い。。 しかし・・・売れませんでした。 σ( ̄◇ ̄;) ワ、ワタシ・・個人的には結構、好きなんですけどね。 残念です。 ホッパーが発売されたのと同じ1971年、 カワサキの本社が動きます・・・・ <カワサキ MT1> ![]() まずは、北米市場からだよ・・・という感じでしょうか? 75ccという排気量で、4.3HP@5750rpmは、まずまずの数字です。 残念だったのは・・このエンジン。 ルーツは、1966年のM10まで遡ります。 その、5年前のエンジンをリファインして75ccに排気量を拡大した・・ というコンセプトが残念でした。 当時カワサキは90ccのGAという優秀なエンジンを持っていました、 さらに、このGAをベースとしたGA-Rというレーサーもあった。。。 にも拘わらず・・M10のエンジンを使ってしまったんですね、 もし、これがGA系のエンジンを搭載していたなら・・・ ひょっとすると、ひょっとした・・かも知れないんです。 <1977 KV75> ![]() とは言え、強力な販売網も手伝って・・それ相応の人気を勝ち得ます。 (僕も・・・個人的には欲しかったりする。。。) 1977年にはKV75として国内販売されます・・・・が、 <KV75のカタログ(その1)> ![]() <KV75のカタログ(その2)> ![]() <KV75のカタログ(その3)> ![]() 国内向けとしては、その中途半端な排気量が災いして、 成功を収める・・・という訳にはいきませんでした。 まぁ、なんだかんだ言って、1980年まで生産されているので、 他のミニバイクと比較した場合、 最も成功に近かった一台・・・・と言える事はできると思います。 ---------- 1971年に、各社がミニバイク市場に参入・・・ そして、超えられないモンキーという壁にぶちあたる中・・ 1979年まで、モンキーの独り相撲は続きます。 そんな中、スズキはリベンジに出ます。 <スズキ エポ> ![]() 「エポックを狙え」というキャッチコピーはともかく・・・ ここで、スズキはグッド・チョイス。。。 搭載するエンジンは2サイクルのスポーツ・モデル、 TSハスラー系から流用しました。 つまりRG50系のエンジンです。 すでに、原付きスポーツとして各種のキットパーツが存在する エンジンをチョイスする事で、「いじって遊ぶ」楽しみも加わりました。 このTSハスラー系のエンジンは、 コンペ・モデルであるRM80にも発展しています。。。 と・・・云う事は・・・・ 必然的に、RM80の18馬力エンジンをEPOに載せちゃう人も出てくる訳です。 <EPO RM80> ![]() もう・・・こうなっちゃうと、 4ストロークのモンキーに勝ち目はありません。 カートコースで行われる8インチクラスのミニバイクレースは、 2サイクル勢と4サイクル勢を切り分けるレギュレーションへの変更を余儀なくされます。 次の年・・・1980年になると、 長い事、このカテゴリーに対して沈黙を守ってきたヤマハが参入します。 <ヤマハ ポッケ> ![]() 伊達に沈黙を守って来た訳じゃないんだぞぉ・・・・ と言ったかどうかは知りませんが。 エンジンは、(後述)ミニトレで十二分に実績を積んだ、 GT50系の2サイクル50cc・・ 巷には、GYT(Gunuine YAMAHA TEAM)キットや、 SPタダオ、スガヤのキットパーツが溢れています。 ![]() た・だ・し・・・・・・・タイヤ径のチョイスで失敗しました。 6インチ・・・・・・・? なんて中途半端。。。 兄弟車のフォーゲルは8インチだったので、 なおの事、残念でした。 しかし、この車も、EPO同様・・・YZ80の16馬力エンジンを搭載する強者が現れます。 かつての・・・・σ( ̄∇ ̄;)?・・・・ <ポッケ YZ80> ![]() しかし・・・操縦性は、劣悪の一言です。 ちょっと無理をすると、即転倒・・もともと6インチの「転がしタイヤ」の上に、 このホイールベースでは無理もありません・・ RD50のスイングアームを取り付けて、なんとか、その場をしのぎましたが。 「じゃじゃ馬」どころか「暴れ馬」でした・・・・・(笑) ---------- そして、このポッケ・フォーゲルを最後として、 各メーカーともミニ・レジャー・バイク市場から、一時撤退します。 そして、1986年には、再び厳しい戦いが始まる訳ですが・・・ そちらの戦いは、また別の機会にじっくりと解説しましょう。。 次回は、ホンダのレジャー・バイク戦略、第二段階・・・です。 スポンサーサイト
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この記事のコメントChibi、可愛いですね。ハンドルの感じとか好きです。ポッシェとフォーゲルは実家で販売してましたが、なかなか売れず子供ながらに印象に残っています。しかし、Coyoteが予言通り新車で見つかるというのは慧眼ですね^_^ 2013-11-23 Sat 10:30 | URL | Ryu [ 編集] |
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