機械バカ一代

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国産レジャーバイクの系譜(その19)

Passol_001_TOP.jpg

・・・パッソルとパッソーラ・・・

もちろん、ロードパルの話の次に、
このパッソルとパッソーラの話が来る事に違和感を感じる人は少ないと思います。

そう、先に発売されたロードパルを見事に追撃する形で、
HY戦争における「パールハーバー」的な印象を持たれるパッソルとパッソーラですが・・・

この2機種が、ヤマハとしては、かつてない程の販売数を築いた背景には、

驚きの真実が隠されています・・・

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1976年にロードパルが発売され、ファミリーバイク・ブームが爆発的に始まった事は
前回述べた通りですが、

ヤマハは早速、ロードパルを購入して各種のテストを行います。
同時に社内では、072と言われた新しいプロジェクトがスタートします・・
ロードパルのエンジンを強制空冷方式に改造し、ステップスルーのボディデザインは
YAC(その後のエルムデザイン)が担当する事になりました。

これが、後のパッソルになる訳です。

つ・ま・り・・・・

発売時期から考えて、ロードパルの発売時にヤマハはすでにパッソルを開発していた・・
と、思っている方も多いかと思いますが・・決してそういう訳ではありません。。

あくまで、ロードパルの人気を目の当たりにして、パッソルの開発を始めたのです。

ある資料によると・・

1976年2月: ロードパル発売
1976年3月: 072プロジェクト発足:プリテスト開始:設計着手
1976年8月: 一次試作車完成:
1976年10月: CM撮影:認定申請:諸元値設定
1976年12月: 生産試作
1977年1月: プリ生産
1977年2月: 本格生産

となっています。

企画から、開発・・生産開始まで、わずか1年。。
開発、実験スタッフは、それこそ不眠不休に近かったのでは??とも思えます。
レース用のコンペモデルだって、毎年のマイナーチェンジは兎も角、
最初の企画からデビューレースまでは、2~3年を要するのが普通ですからねぇ。。
-----------

さて・・・パッソルのCMと言えば、「八千草薫」さん。

<パッソルの広告>
131014_Passol_ADS_01.jpg

主婦をターゲットとした戦略モデルですから、
「主婦」イメージとして、ヤマハ・ソフトバイクの名で広告攻勢をかけて行きます。

これも、ちなみに・・・当時、八千草薫は免許を持っておらず、
掛川のヤマハ・テクニカルセンターで免許を取得・・
さらにテストコースでパッソル(072)の走行実習までしてCM撮影に臨んでいます。

で・・そのギャラは、1700万円だそうで・・・Σ(- -ノ)ノ!!

・・もちろん「ステップスルー」の原付一種スクーター、
という、ラビット以来の国産スクーターの復活は、そんなヤマハの販売戦略として
間違ってはいません、ロードパルと同等か、それ以上の人気を主婦から得る事に成功します。

-----------

このパッソルの滑り出しの良さで、
ヤマハの関係者が
よっしゃー!!
と叫んだかどうかは知りませんが・・

当のファミリーバイク・ブームの仕掛け人であるホンダさんは・・

状況を、「至って冷ややかな目で見ていた」事は確かなようです。

その証拠に、ホンダは1978年の時点で、ファミリーバイク・クラスの在庫数を圧縮し、
開発のメインを中型機種へ移行させています。

一方・・パッソルの人気に気を良くしたヤマハは、
女性の運転免許取得者は普通免許が累計約800万人、
原付免許が累計約200万人、合計で1,000万規模の潜在需要があると睨み、
さらに男子大学生などにもユーザー層が広がると見ていました。

・・結果として、ヤマハの読みは「そう大きく外れていた」訳でもなく・・
その後、1980年代には、空前絶後のバイク・ブームが到来する事になる訳ですが、

兎も角、この市場予測の違い・・・がHY戦争を引き起こす事になりました。

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実は・・・この市場予測の違いを招いた「落とし穴」が存在します。

というのも、この1978年時点でのホンダの市場予測は、
ロードパル普及に為に行った市場調査が元になっています。
あれだけ綿密な市場調査を行ったホンダが見誤ったのでしょうか?

いいえ・・見誤ったのはヤマハさんの方でした。(1978年当時はね)

1980年代のバイク・ブームというのは、今となっては色々と言われていますが、
日本のバブル経済と、雑誌、マンガ・・映画などの影響、
警察の暴走族取り締まり強化・・排気ガス規制に対するメーカー側の努力、
さらには、ロードパル普及によって、ホンダが主婦層などに向けて積極的に行った
安全講習、啓蒙活動などが・・

複合的に作用した結果・・・

偶発的に発生したブーム(流行)であって、1978年の時点で、
これらすべての要因を解析して、このブームを予測できたメーカーは、
どこにも居なかったはずです。

では・・・なんで、ヤマハさんは、そんな市場予測をしちゃったんでしょう。。

もちろん・・・パッソルが予想外に、たくさん売れちゃったから。

なんですが・・・

パッソルが予想外に販売台数を伸ばした理由・・・・それは、

簡単に盗む事ができたから」・・・Σ(- -ノ)ノ エェ!?

に他なりません。。

-----------

さて・・・かの尾崎豊さんの大ヒット曲、「15の夜」の歌詞に出てくる一節、

盗んだバイクで走りだす~、行く先も判らぬまま~・・という部分。

本人が後の話で、「あれはパッソルの事ですよ。」と言っています。

<尾崎豊:15の夜>



まぁ・・・曲や、ご本人のイメージから中型のスポーツモデルをσ(^_^)アタシなんかはイメージしていたので、
その話を聞いた時には、少々残念な気分になったもんですが・・

そう・・・パッソルは、そんなに簡単に盗む事ができたんです。

実は・・ロードパルも簡単でした・・
プラスチック製のホルダーで抑えられただけの簡単な構造のイグニッション・キーは、
マイナス・ドライバーでちょこっとコジれば、簡単にシリンダー部分とベース部分に分かれてしまうので、
後は、ベース部分を、またまたマイナス・ドライバーで、クルッと回せば、
エンジンは、かかってしまいます。。

<ロードパルのキーシリンダー>
131014_ROADPAL_KEY.jpg

こんな簡単な構造であったが為に、ロードパルも、やはり多数盗難の被害に遭っています。

そして・・その事が、原付に「盗難保険」を普及させる事につながりました。
ロードパルの発売から一年、パッソルが発売された頃には、
原付を買うなら、盗難保険も掛けたほうが良いですよ・・と販売店は勧めるようになります。

パッソルに話を戻すと・・・ロードパルよりも、さらに楽チン。。

ステアリング・ヘッド部分のカバーを「指」で引っ張ると簡単に開きます。
そして、その中にある・・キーシリンダから伸びるカプラーを引き抜くと・・・
もう、それでエンジンは掛かっちゃいます・・・・・Σ(- -ノ)ノ エェ!?

<ここを開けると、簡単・・>
131014_Passol_Stall_01.jpg

・・ドライバーだって要りません、

おまけに、初期のパッソルには、ハンドルロックすらありません。
後期になって、ハンドルロックがついたものの・・・その辺の棒でコジレば、
すぐに外れちゃうような代物です。。。

<後期型のハンドルロック>
131014_HANDLE_LOCK.jpg

まぁ・・・オートバイの電装に詳しい人から見れば・・ごく当たり前。
もともと、イグニッション・コイルの一次側を短絡させて、エンジンの点火をカットしている訳ですから、
キーシリンダーを経由する、アースの線・・もしくはIGという線を切ってしまえば、
エンジンは掛かります。

これも、簡単に判る理屈ですが、この方法で盗んだ場合、
ヘッドライトやウインカーなどの電装系は機能しません。

・・・しかし・・一回盗んでしまえば・・・

あとでゆっくり、キーシリンダーを分解し、電装系が使えるカプラを用意して、
中にぶら下げておきながら、本当のキーが刺さる部分には適当な鍵を突っ込んでおけば、
パッと見は、盗んだバイクには見えません・・・・
良く不良に、頼まれてカプラを作ったもんだ・・・時効。

さらに、当時はまだ原付にヘルメットの着用義務はありません。

これは、当時の「中学生」の間に、瞬く間に情報が広がりました。

ただでさえ反抗的な思春期を迎えたイタズラ好きな中学生です。
学校に行くのにも、ちょっと駅の駐輪場で自転車を「借りて」・・・という年頃です。
その自転車が、パッソルになっただけの話。。

ちょうど、パッソルが大量に売れている頃・・σ(^_^)アタシは中学生になるかどうか・・でしたが、
当時、都内の区立中学校の塀には、必ずと言っても良い程パッソルが立て掛けてありました。

-----------

しかし・・・このパッソル盗難問題・・・

前述の、後期型になって採用されたハンドルロックのように・・
メーカーとしては、建前で対策を採る姿勢を見せていましたが・・・・

どうやら・・・本気で対策を施そうとした形跡はない・・・・・( ̄o ̄;)ボソッ

1978年には、姉妹機種、パッソーラが発売されます。

<パッソーラ>
131014_Passola_001.jpg

CMでは、八千草薫さんと一緒に水沢アキさんを起用、

「妹もヨロシク」というキャッチコピーで、更なる市場開拓を目指します・・

<パッソーラの広告>
131014_Passola_ADS.jpg

が・・・どうでしょう。。。

あの、問題だったステアリング・ヘッドカバーは・・

さらに、大きくなっちゃいます。。

そう、もっと簡単に盗めるように、なっちゃってます・・・・・(笑)

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今となっては・・・推測でしかありませんが・・・

パッソルの発売当初から、この盗難問題は・・
ひょっとしたら、本社の営業本部長あたりは、把握していたんじゃないかなぁ。。

少なくともヤマハ系の販売店レベルでは気がついていたはずです。

しかし・・現実にパッソルの盗難が頻発して困るのは・・
その当事者(盗まれた人)が、数日間、不便な思いをするだけ。。。
という事にも、同時に気がついたんじゃないかなぁ。。。(あくまで推測だってばぁ)

(; ̄ー ̄)...ン?・・・どういう事?

・パッソル(パッソーラ)が盗まれる
・盗まれた人は警察に届ける。
・盗難保険を申請する・・
・新車が届く・・

というプロセスで、パッソルはさらに販売台数が伸びている・・・
という事実が、そこにあった為です。

じゃあ・・盗難保険に入って居なかった人は???
というと・・・実は、マイホームの火災保険がバイクの盗難にも適用できる事を、
ちゃーんと、販売店は知っていました。。
さらには、クレジットカードのショッピング・リカバリー、
自家用車のある家庭では、マイカーの任意保険に付属する特約事項・・
ありとあらゆる、保険の裏ワザを駆使して・・盗難被害にあったユーザーは、
そのリカバリーを受ける事ができました・・
なんと言っても、ほとんどの販売店は保険の代理店も兼ねていますからね。

中には・・
「先月、おたくで買ったスクーターなんですけど盗まれちゃって~~」とバイク屋さんに電話すると・・

「いやあ・・災難でしたね。。解りましたよ、他でもない◯◯さんですから、
警察に盗難届けを出すのを一日待ってもらえますか?・・今から盗難保険の加入書類を持って伺いますから。」

とか・・

「あらら・・届けは、もう出しちゃったんですか・・じゃあ、仕方ないから、
もし、保険会社に聞かれたら、昨日の夕方、保険に入った事にしておいて下さい。
あとで、印鑑だけ貰いに行きますから。。。」

という・・・本当に、あの手、この手でリカバリーされています。

だって・・

・オートバイ販売店の場合・・
売り上げ台数が上がる=バックマージンが増える=値引き幅が広げられる
=さらに顧客を増やす事ができる=自賠責も含めた保険の売り上げも増える
と・・・良い事ずくめ。

・保険会社の場合・・
盗難件数が増える=加入者数が増える=支払う補填額も増えると同時に
=加入者数もさらに増える=収支を考えればお得。

・盗難された人の場合・・
盗難される=気分が悪い+不便=保険を申請する=新車価格の全額は保証されない
=バイク屋さんに相談する=「今、キャンペーン中ですから、値引き分を入れれば保険で新車が届きますよ」
=結果オーライ:新車になった分、得しちゃったかも・・(^ー^* )フフ♪

ほら・・・実は、あんまり困った人は居なかったんですよ。。

-----------

ここまで来れば、もう話は、だいたい見当がついちゃいますよね・・・

本当のパッソル購入者は、「保険会社」であって、当初ターゲットにしていた、
「主婦」も、ある程度は購入しましたが・・・大多数では、ありません。

1979年、ヤマハの第2代社長、小池久雄は社内外に
「チャンスが来た!オートバイ業界の盟主の座を狙う」と高らかに宣言しちゃいます。

いわゆる・・HY戦争の宣戦布告事件ですが・・

この発言が、パッソル・パッソーラの予想外に好調な販売台数と・・
その数字を元に営業部が出した、市場拡大予想に裏打ちされていたとするなら・・・
(現実に、そうだった訳ですが・・・・)

もう・・大東亜戦争における「幻の台湾沖航空戦の戦果」に匹敵する・・
最大級のリソース・マネージメント上の大失策・・・

あ~あ・・・言っちゃった。
-----------

つ・・ま・・・り・・

パッソル・パッソーラの新車販売における、ユーザーは、もちろん主婦・・という側面も、ありましたが。
現実上のユーザーは、不良の中学生であって、決して正規の購買層には成り得ない存在、
つまり、販売戦略に組み込んではいけない数字を・・・
・・「最前線である販売現場の実態を把握しないまま」・・鵜呑みにして、
上層部に報告してしまったのを、、報告を受ける側の上層部も見抜くこと無く・・・
さらには、報告した営業部でさえ、(実態を把握していたのかも知れないけど・・)
修正する事は行われずに、HY戦争の宣戦布告に至ってしまった。。。

という。。。。

おいおい・・・戦時中の陸軍じゃないんだからさぁ・・・と言いたくなるような、
全く・・稚拙としか言い用のないリソース・マネージメントからHY戦争は始まっています。

-----------

まぁ・・その証拠に、1982年に発売されたパッソル Ⅱは、
ほとんど売れずに、大量の在庫としてヤマハを苦しめる存在になってしまう訳です・・・

そして・・盗まれたパッソル達の「その後」は。。。

おそらく、ほとんどは放置・・そして放置自転車として保管所で一定期間保管された後に解体屋さんへ・・
結果として、解体屋さんでは、フレーム番号を削り落とされたパッソルが大量に鉄くずにされるという運命をたどりました。
また、かなりの数が、川に流されたり・・運河に沈められたり。。。
・・・まぁ、一部の悪徳解体屋さんは、自社独自の適当な車体番号を勝手に打刻して、
中古車として売ったりした例もあるみたいで・・ここまで大量に盗難事件が起きると、
警察もイチイチ解体屋さんや、放置自転車集積場にあるパッソルの車台番号を
X線で調べて盗難届一枚一枚と照合する、
という事はなかった・・と記憶しています。。

・・番外の話として・・・

・その後も、初代パッソル・パッソーラの乾燥重量45kgという軽量性は、
1980年代のスクーター・レースでは、強い武器となりました。
後に発売された、JOG、CHAMPといった機種のエンジンを搭載して、
スクーターレースの花形に返り咲く事になるんですが・・・その話は、また次の機会に・・

-----------

さて・・お次は・・・スズキさんの動向・・・いってみましょう。

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この記事のコメント

深いです。かなり深いです。脚を揃えて乗れるから大人気で主婦が新たな購買層として出現し、パッソル、パッソーラがヒットしたというよりも盗難と保険屋により販売台数が増したなんて。驚きです。しかし、今見てもパッソルは独特なデザインですね。名前通りお散歩に良さそーですね。八千草薫さん、なかなか当時としては高額ギャラですね。美人さん。水沢アキも美人さん。
2013-10-14 Mon 21:11 | URL | Ryu [ 編集]
(ΦωΦ)フフフ…
パッソル&パッソーラ
高校・大学の仲間がたくさん乗っていたな。
ハンドルロックがチャチくて、蹴っ飛ばすと
すぐはずれた(壊れた)よ。
これを見てそんな事をおもいだした。
2014-01-03 Fri 10:24 | URL | [ 編集]

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